タバシャス
勝利を僕らの手に
「第五回タバティエールとの関係がこのまま進展しないまま半年が過ぎてしまったがこのままでいいのか会議を開始する!」
「……」
「……」
「……」
基地の食堂で声高らかにシャスポーの宣言によって謎の会議が行われていた。テーブルには、ローレンツが頭を抱え、ラップがうなだれ、シャルルヴィルは気にせずテーブルに置いてあったお菓子を食べている。
「お、おい! どうしたんだ? 何かリアクションの一つでもしたらどうだ?」
シャスポーは一向にやる気を見せない三人の態度に苛立ちを隠せずにどんと力いっぱいに拳でテーブルを叩いた。そんなシャスポーをちらりと見やってローレンツはおそるおそる口を開く。
「正直、中だるみしてきたといいますか……。ずっと失敗続きじゃないですかー」
会議のきっかけは、ローレンツがシャスポーの使うベッドの下に落としてしまった私物を拾おうと誤ってタバティエールが以前月刊NOBLEの取材に応じた雑誌を見つけてしまったことから始まった。
表紙を飾ったわけでもない小さな一面の特集であったものの、明らかに読み込まれたページの痛みからなんとなくローレンツがシャスポーに興味本位で問い尋ねたところ、あのタバティエールにあたりの強いシャスポーがタバティエールに恋しているという事実が発覚した。加えて、シャスポーが重度の恋愛脳で妄想癖という知りたくもない事実を知ってしまった代償に口止めとしてローレンツはシャスポーがタバティエールとの仲を取り持つため現に働かされている。しかし、フランス銃でかつ秘密を守る気遣いのできると思われる参謀としてラップやシャルルヴィルを招聘してきたものの、今までに多くの作戦が実行されたがことごとく失敗に終わっていた。
「もう四回目での失敗でこりごりです。恭遠さんにも怒られたじゃないですか」
「もう諦めたらよろしいのではないでしょうか?」
「元々叶わぬ恋だったんだよ。あ、失恋記念にスイーツ食べる?」
「な……! お前達、僕より旧式のくせにもっとやる気だしなよ!」
シャスポーは三人のやる気の無さに苛立ちを感じていると、ラップは何かを思いついたのか目をはっとさせ話題を切り出した。
「申し訳ありませんが、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「なに?」、と苛立たし気にシャスポーはラップを睨むけれども、そんなシャスポーを気にする素振りを見せないままラップは一つ咳払いして言葉を続けた。
「そもそもなぜタバティエールはシャスポーのパシリという関係になったのかその経緯をお尋ねしてもよろしいですか?」
「言い方に気をつけなよ。まあ、それくらい別に構わないけど」
シャスポーはタバティエールとの関係を訊かれたことが余程嬉しかったのか誇らしげに背筋をピンと伸ばして手振り身振りを使って意気揚々と語り始める。
「もちろん、純粋な性能の差さ。タバティエールは僕と違って性能が低いからね。僕が主力として前線に立ち、あいつが第二戦線で僕をサポートする。日頃の上下関係はその延長だよ」
その後もシャスポーの自身の性能自慢が延々と繰り返される中、ローレンツやシャルルヴィルがうんざりとした様子で聞き流していると、「なるほど……やはり……」、とラップは一人うなずきながらシャスポーをじっと見つめた。
「何を一人で納得しているんだ。早くもったいぶらずに言いなよ?」
シャスポーは発言を渋るラップの様子に痺れを切らして詰めかかった。けれども、ラップは眉をひそめ神妙な面持ちで考え込み、そして明確にそして残酷な一言をもって告げた。
「はっきり申し上げます。おそらくタバティエールは……シャスポーを嫌悪している……」
「なっ……!?」
「はわわ。ラ、ラップさん! それはいくらなんでも……」
「……」
「ああ! シャスポーさんがショックのあまり固まってます!!」
そのまま椅子から転げ落ちそうになっているシャスポーをローレンツは必死の思いで支える。そんな様子にも気を留めず、ラップは間髪おかずに言葉を続けた。
「タバティエールは戦場で戦果を出すために製造されてまもなく自分より優れた後輩が戦場で活躍し、貴銃士になった今もその関係に縛られている……」
シャルルヴィルもラップの言葉に賛成の意味を込めてうんうんと相槌をうった。
「確かに、俺たちの時代と違って銃の性能で戦争の勝ち負けが決まっちゃうんだよね。現代銃みたいに明らかに年代が違うんじゃなくて、同世代で」
「恨みこそすれ、好意を持つはずがありません……」
「そ、そんな……馬鹿な……」
「タバティさんが好意を持っている前提で行われていたこの会議も、茶番に過ぎなかったんだね……」
シャスポーは二人の辛辣な言葉に気圧され唇を震わせた。タバティエールはシャスポー相手になにか文句を言うことなく傍にいて、むしろタバティエールの方から勝手にシャスポーの世話を焼いていた。だからこそ、タバティエールがシャスポーを嫌う可能性を少しも考えていなかったのだ。
「そんな……それは嫌だ! けど、もしそうなら、僕はどうすれば……」
「どうしようもありません……一世紀もの間に蓄積された恨みは、簡単に消えるものではありませんから」
「うわああああ‼」
シャスポーの断末魔が食堂内に響き渡った。あれほど、マスターの前ではできる優秀な余裕のある優秀な貴銃士として振る舞おうとするシャスポーの姿はここには存在しない。ローレンツはあまりの悲惨さに涙した。
「皆さん、シャスポーさんをあまり追い込まないでください! ただでさえシャスポーさんはマスターさんといられないせいで情緒不安定なのに!」
「おい、ローレンツ! いい加減にしろ」
「でもそれが事実なら、今からでも上下関係を無くした方がいいんじゃない?」
シャルルヴィルはそう口に出すとうんと椅子の上で背伸びして、口元についたお菓子のかすを親指で口に押しやった。
「この僕がタバティエールの奴相手に下手に出ろって言うんですか!」
「相手を思って行動できないようではその程度の関係だったということです」
「ああああああ‼」
ラップの鋭い追い打ちに、シャスポーはうなだれ机に突っ伏した。
「シャスポーさん大丈夫ですか?」
「頭が……痛い」
「じゃあせめて、マスターに頼んでお休みをあげたらどうかな? タバティさんいつも働きづめじゃん。だから心身共にリフレッシュさせてから話し合いしたら上手くいくんじゃないかな?」
今にも壊れてしまいそうな後輩の姿にシャルルヴィルはよしよしと栗毛色の柔らかな髪をなでながらシャスポーに提案をする。同じフランス銃とはいえ性能を比較したがる可愛くない生意気な後輩であってもそんな彼が恋の相談を自分達にするというのが嬉しくあり楽しいのだ。そんなシャルルヴィルの言葉を聞くとシャスポーはテーブルからゆっくりと頭を上げた。
「シャルルヴィル……先輩。……それで、もしダメだった時は?」
「……」
「そこで黙らないで下さいよ。……誰か僕を安心させるような一言はできないのか!?」
「結論を先延ばししても、いいことはありません。ご決断を」
ラップのナポレオンの副官として培われた冷静な一声にシャスポーは悔しさのあまり下唇を噛んだ。理解はしているのだ。性能こそ全てと考えていた自分が自分よりも格下のタバティエールに心を奪われてしまっている。さっさとタバティエールを諦めてしまえばきっと心は楽になるはずなのに、今の自分たちの関係を変えたいと思う自分がいることも。
シャスポーはちらりとローレンツを見やると、ローレンツは両の手でガッツポーズしてシャスポーを見つめていた。
「……ああ、分かった。やればいいんだろ。僕は高貴で高性能な後装式ボルトアクションライフルだ。それぐらいやってみせるさ!」
シャスポーの決心にローレンツ達は一斉にスタンディングオベーションで惜しみない拍手を送った。無事タバティエール相手に失恋したら、愚痴に付き合って好きな食べ物ぐらい食べさせてあげよう程度の軽い気持ちで。
けれども、後にこの議決が基地の大騒動になるとはメンバーの誰一人思わなかった。
「シャスポー、遅くないか?」
ドライゼは時計に目をやる。予定していた時間よりも少しばかり遅れていることにドライゼは首を傾げていた。今日は、作戦で一緒に行動を共にすることが多いドイツ統一戦争を経験したメンバーだけで訓練するという予定のはずだった。しかし、今日はどんな相手との訓練でも、時間をきっちり守って参加するシャスポーにしては珍しく集合時間に遅れていたのだ。
「そうだな……。もうしばらく来なかったら、呼びに行ってみるか」
タバティエールも不思議に思ったのかやれやれといった様子で辺りを見回していた。すると、衛生室から訓練所へシャスポーが向かってきていた。
「あ、噂をすれば。シャスポーさん来たみたいですよ!」
ローレンツが「シャスポーさん」と声を出してシャスポーに向かって大きく手を振っている。
「……」
シャスポーはローレンツの様子などちっとも目に映らないのか無言のままタバティエールの前まで来ると立ち止まって、タバティエールをじっと猫が獲物を仕留めようとせんばかりにじっと凝視した。
「シャスポー? どうかしたのか?」
「……」
「体調でも悪いのか?なんなら水でも……」
タバティエールが心配そうに顔を近づけてシャスポーを見やると、シャスポーはその動きを予想していなかったのか驚いてタバティエールから一歩距離をとった。端正な白い肌が朱に染まり、シャスポーはあまりの恥ずかしさに思わず両手で顔を隠してしまう。
「う……いや、その……」
シャスポーが言いよどむ姿に、ローレンツは先日の会議を思い出してきらきらとした眼差しでシャスポーに声を掛けた。
「シャスポーさん、ほら勇気を出してください! 大丈夫ですよ」
「わ、分かってるさ。君に言われなくても……タバティエール!」
シャスポーは胸に手を置き、深呼吸してタバティエールに向き直る。
「俺?」
事情を知らないタバティエールは人差し指で自身をさして不思議そうに首を傾げている。
ローレンツは信じていた。ようやくシャスポーはタバティエールとの上下関係を解消し、次のステップへ向かうのだと。けれど、ローレンツはこの時ばかりは忘れていた。素直になれないシャスポーの性格を。
「もう、その……今日からいなくていいからな!」
一瞬にして凍ったような沈黙が訓練所の辺り一帯を支配する。
「……へ?」
「シャスポー、それは……」
言ってやったぞと言わんばかりの満足げな笑みを浮かべるシャスポーの態度とは裏腹にドライゼとローレンツはシャスポーの発言に言葉を失っていた。シャスポーはそんなまわりの雰囲気に気づかないまま調子よく言葉を続ける。
「この基地に僕ほどではないけれど、マスターを守る貴銃士は他にいる。お前がいなくても大丈夫だ。マスターにも許可は取ってある。だから……」
タバティエールは驚いたのか一瞬だけ目を点にして、シャスポーをちらりと見やるとやや間をおいて少しばかり微笑んでみせた。
「……そう、か。分かったよ。じゃあ、先に訓練始めといてくれるか。ちょっと俺、部屋に忘れ物してたの思い出した」
「悪い」、と一言告げてタバティエールはシャスポーの方に手を置いて、宿舎の方へと走って行った。タバティエールが訓練所から離れたことを確認すると、シャスポーは耳を真っ赤にしながら糸の切れた人形のようにくたくたとなって、地面に座り込んでしまった。
「ふう、言えた……でも、あいつあんまり喜んでなかったな。やっぱりこの僕から離れるのはイヤだったってこと……かな?」
そう呟くとシャスポーは体中にやさしく柔らかに手足の末端まで溶けていくような幸福感に酔いしれて無垢な少女のように恥じらいながらぎゅっと自身を抱きしめた。
「……シャスポーさん」
「シャスポー……」
幸せそうにはにかむシャスポーにローレンツは肩を落とし、ドライゼはいぶかしげにシャスポーをじっと見据えた。
「おい、なんだ。お前達その目は」
「俺はお前とタバティエールとで作戦で多くの戦場を共にしたが、彼の働きぶりに非の打ちどころがなかったと思うが」
事態を呑み込めていないのかドライゼの言葉にシャスポーは迷惑そうに顔を歪ませた。
「そんなの、普仏戦争で戦った頃からお前なんかよりも僕のほうがあいつをよく知ってるさ! だからこそ、少し休みを……」
「ならば、なぜ基地から追い出すようなことを言うんだ? 俺は同じマスターから呼び出された貴銃士として見過ごせない」
「はあ? 基地から追い出すだと。少しの間休めと言っただけじゃないか」
「今の言い方だと、そうは聞こえないんじゃないですかね……」
ローレンツはとほほ、と萎れた花のように首を垂らしてうつむいている。ドライゼもまたローレンツの言葉に小さく頷いた。
「説明もなくいきなり基地から追放か。俺がカフェでバイトした時もそうだった」
「だから違うって言ってるだろ! だ、大丈夫さ! 僕とタバティエールの仲だぞ! 言いたいことは伝わったはずさ」
ドライゼとローレンツが深いため息をする様子に、シャスポーはムッと唇を尖らせてせきたてられるように突っかかっていく。けれども、その声はかすかに震えて、自信なさげに響いた。
「お二人の仲だからこそ心配なんですが……」
困り果てたローレンツはぽつりと呟き、長い息を吐いてそっと目を閉じる。シャスポーの恋の相談に付き合ってできる限り協力してきたつもりではあった。けれども、タバティエールが基地からいなくなってしまえば、シャスポーはどうなってしまうのだろうか。どうすることもできない漠然とした不安が心の内で膨らんでいく。
その後、訓練が始まってからも忘れ物を取りに行ったはずのタバティエールが戻って来ることはなかった。
空に夕闇が広がりを見せた頃、ドライゼ達は訓練の最後の走り込みを終えてローレンツはぜいぜいと息を切らしながら手近に生えている木の麓に寄り掛かった。
「タバティエールさん、結局訓練に戻ってきませんでしたね……」
「マスターに許可をもらった上で信頼していた仲間から基地から追い出されたからな。堂々と戻って来ることは考えにくい」
ドライゼはタオルで汗ばんだ肌を拭いながら、シャスポーを一瞥する。
「だ、だから、僕は基地から追い出してないぞ」
三人が訓練所で揉めていると、ひょっこりとカトラリーが顔をのぞかせた。
「あれ? あのおじさん。ここにもいないの?」
「カトラリーか。ここにもいない、とはどういうことだ?」
「いつも食堂にいるメンバーで夕食のお手伝いしてるんだけど、おじさん食堂来なかったから探してたんだよね」
「そんな……どこに行ってしまったんでしょうかね?」
ローレンツは腕組みをして考え込んでいると、シャスポーは真っ青にして小刻みに体を震わせながらぽつりと蚊の鳴くような弱弱しい声で呟いた。
「まさか……ショックのあまり家出……?」
「さすがにそれは短絡的すぎませんか。あのタバティエールさんですよ」
ローレンツは冗談と思って笑っていると、シャスポーはそんなローレンツの様子を気にも留めず、口元を手で覆って言葉を続けた。
「ああ、僕のせい……だ……。タバティエールの気持ちを考えずに……。確かに、ひっそりと思いを寄せていた高貴で高性能な後輩から突然あんなこと言われたら……」
「思いを寄せて、の部分はかなり疑問が残りますけど……」
「基地を飛び出しても貴銃士のあいつに他に行くアテもないはず……そして世を儚んだタバティエールは……。ダ、ダメだ。早まるな。今、僕が行くからな!」
「あ! シャスポーさん!?」
シャスポーはローレンツの手を払いのけて血相を変えて訓練所から飛び出して行った。
「あの人、大丈夫?」
カトラリーは奇妙なものでも見てしまったように呆然として口をぽかんとさせている。
「平静を装ってましたけど、シャスポーさん訓練中動揺のあまり珍しく銃弾を落とした上に的を外してましたからね」
ローレンツとカトラリーが話していると、ドライゼはタオルなどの訓練の後片付けをてきぱきと終えて自身の銃を手に取り肩に背負った。
「カトラリー。すまないが、シャスポーとタバティエールを探すのを手伝ってもらってもいいか? これから日が沈むからな。手分けをして探した方がいい」
「僕はかまわないよ。日が暮れるのもあるけど、最近世界帝軍が基地に近い場所で動いてるみたい。貴銃士だから大丈夫だと思うけど万が一になったら大変だ」
ドライゼはカトラリーの言葉に頷き、ローレンツの方へ体を向けた。
「三人で探しに行くべきだが、行き違いにならないように誰かが残ってた方がいいかもしれない。ローレンツ、君に任せてもいいか」
「ドライゼさん、大丈夫です。俺に任せてください」
ローレンツの軽快な返事を聞くと、ドライゼは「よし」、と一瞬だけローレンツを見て微笑んだ。そして、すぐさま目尻をあげると表情を引き締めてカトラリーとともに駆け出していく。
ローレンツは二人を見送り、訓練所にある自身の銃を取りに向かおうとすると見覚えのある青い軍服が目に入った。
「あれ、ローレンツ君一人だけか?」
「あ、あれ? タバティエールさん、どうしてここに?」
「どうしても何も、俺達はここが居場所だろ」
「部屋にも食堂にもいないと聞いたので……」
訓練が始まる前までは基地服を着ていたはずなのに軍服を着ているのをローレンツは不思議に思っていると、タバティエールは「ああ」、と気づいた様子で事情を話しだした。
「ああ、鞄取りに行ってたらさ。レジスタンスのおやっさんが近くの街まで行かなきゃならないでその護衛についてたんだよ。で、遅くなったわけ」
「じゃあ、基地から追い出されたと思って、家出したんじゃ……」
「家出? なんのこと……ああ、なんとなく想像がついた。で、シャスポーは?」
「タバティエールさんを探して、基地の外へ飛び出しちゃったんです。そして、シャスポーさんを探しにドライゼさん達が……」
ローレンツの話を聞くとどこか納得した様子で、タバティエールは訓練所を見回すとシャスポーの本体である銃と鞄が投げ捨てられたように置かれているのを見つけてそれらを拾い上げた。
「はあ……仕方ないな。あいつ、自分の銃も忘れてさ。結局、休みになんかなりやしない」
言った言葉とは裏腹にどこか優しげな響きをもって、自身の銃を手に抱えシャスポーの銃と鞄を肩にかけるとローレンツの方へ振り返った。
「悪い、ローレンツ君。あいつを迎えに行ってくる」
そう言って、タバティエールはローレンツに手を振りドライゼに続いてシャスポーを探しに基地から外へ走り抜けていく。「迎えに行く」という確信を持った言葉をもって。
「ちゃんと伝わってたんだ……タバティエールさんはやっぱりすごいです」
もしかしたら、タバティエールさんは。そう思った瞬間、一陣の風が吹き荒れてその続きを口にすることを禁じるようにローレンツの頬に小さな花弁が一つ触れる。とってよく見てみれば、どこか祝福するような色合いにローレンツは嬉しくなって頬を緩ませた。
「シャスポーさん、頑張ってくださいね。俺、応援していますから」
貴銃士になる前には感じられなかった感覚に思わず胸を弾ませる。もう戦場で勝利をあげるためだけに戦うのではない。何のために戦い、何を守るために戦うのか自分たちには考える自由がある。
ローレンツは訓練場に置いていた自身の銃を手にとり、茜色の空を眺めながらいつだって心の内に流れるメロディーを歌った。いつもは落ち込んだ時に歌うけれど、今日は違う。
同じ戦場を駆けぬけたこれから共に戦い続ける戦友の帰還を祈って。
「はあ、はあ……タバティエール……どこにいるんだ……?」
シャスポーはタバティエールが行きそうな場所なんてわからないまま、ひたすらに探し回っていた。以前タバティエールが働いていたらしいカフェ。よく食材を買いに行くという街。かつて雑誌に載っていた任務で活躍した戦場。
シャスポーは任務を除いて基地の外に出ることはほとんどない。せいぜいマスターとの付き添い程度で、基地でひたすらに訓練を重ねるだけの生活だ。だからこそ、タバティエールが行きそうな場所なんて見当がつかなかった。
「僕が悪かったから、帰って来てくれ……早まるな……お前がいなきゃ僕は」
乾いた咽頭から声を絞り出すようにして呟く。
シャスポーは自分らしくない行動に嫌気が差した。昔からそうだった。自分は驕らずひたすら努力してるはずなのに自分の思い通りにいったことがない。銃だった頃、当時最最高の性能をもって迎えた普仏戦争においてフランスの第一戦線で華々しく戦果を上げるはずだった。けれども、負けた。それも、自分よりも先に製造されたドライゼに。ナポレオン三世によって日本の幕末に渡った時も湿気というフランスにはない環境で満足に性能を発揮できなかった。特に銃の頃に最悪だったのは、あの赤いパリでの記憶だ。
「うっ、頭が……」
思い出そうとすると、こめかみが鈍く疼き、意識にうっすらと赤く靄がかかり始めた。頭の周りに鉄の輪でも締め付けられているかのようにじわじわと締め付けられているような感覚が全身を支配し続ける。
金属薬莢の時代を迎え兵器として時代遅れとなって多くのシャスポー銃が改造された。次の世代に移り変わりもう自分は要らないのだと思った。けれども。
「やっと、やっと……。この僕が、……僕達シャスポー銃が最高の戦果を挙げられる時代がきたんだ」
世界帝軍という圧倒的な武力によって支配される時代。シャスポーは世界帝軍に兵器として見られていなかった。だからこそ、シャスポーは今世界帝軍と戦う人々に必要とされたのだ。
ずきずきと痛み出す頭を手で押さえ、乾燥した喉に唾を押し込んでふらつきながらも必死で立ち上がる。
「だから、僕と同じ戦場で戦ってきた誰よりも僕を知っているお前が僕の勝利を見届けるまで……僕の傍を離れるなんて許さない」
すると、その瞬間目に沁みるほどの強烈な光がシャスポーを照らした。シャスポーは思わず木の陰に隠れ目を細め周囲を注意深く観察した。数は六体。見慣れた黒い不気味なガスマスク。
「世界帝軍! ……しまった。無我夢中で探してきたから銃が……」
貴銃士は人にはない絶対高貴という奇跡の力を持ちマスターの治療を受ければ簡単に戦場に復帰することができるが、その力を発揮できなければ人と対して違いはない。
「タバティエール……」
世界帝軍の兵士の銃口を向けられ、シャスポーは思わず目をつむった。
その瞬間、重い金属的な衝撃音が一発森の中で響き渡る。すると、黒い影がずるりと崩れるようにして地に伏せた。
音がした方角をシャスポーが確認すると、シャスポーの後ろから見慣れたあのフランスを彷彿させる青い軍服が目に映る。
「タバティエール!?」
「間に合ったか!」
タバティエールは自身の銃を構えたまま銃口から煙をたなびかせていた。
「ど、どうして?」
タバティエールは危険な場面にもかかわらずシャスポーを見ると口元に笑いを浮かべて肩に背負った銃と鞄を下ろすとシャスポーに向かって投げつけた。シャスポーは余りの展開に唖然として放り投げられた自分の銃をおぼつかない動きで受け取る。
「ほら、お前の銃と鞄持って来た。シャスポー! お前ほどの銃ならこの状況ひっくり返せるだろ」
「お前に言われなくても分かってるさ!」
素直ではない言葉とは裏腹に頼もしいタバティエールの声に思わず心が躍動する。シャスポーは鞄から銃弾を取り出し、そして構えた。もう頭痛はない。狙いを定めて引き金を引けば、銃弾が光の雨となって降り注ぐ。戦いは一瞬にして終わった。
「ふう……俺達だけで倒せる程度の敵で助かったな……」
タバティエールは構えを解き、銃を持っていない手で自身を労うように肩をなでた。シャスポーはタバティエールを夢でも見ているかのようにぼんやりとしたまま一心に見つめ、理解できないという様子で声を掛ける。
「お、おい……タバティエール……?」
「別に俺が基地にいないのなんて珍しくないだろう」
「タバティエールが家出したと思ったら……」
「思ったら、どうしたんだ?」
タバティエールは面白おかしそうにシャスポーに顔を寄せて、シャスポーの顔がかっと熱を持ち、シャスポーは咄嗟にタバティエールから視線を外す。
「お前がいなくなったせいでマスターを心配させるなんて僕の責任が問われるだろ!」
「そもそも休みもらったくらいで、俺が家出するわけがないだろう」
タバティエールの迷いのない響きにシャスポーは思わず目を丸くする。
「ちゃんと分かってたのか?」
「お前がひねくれた言い方しかできないのはよく知ってるからさ」
「そんな言い方するなんて生意気だな。これだから旧式は」
「おかげで、せっかくの休みが台無しだ」
タバティエールは半ば呆れながら懐から煙草を取り出し、ライターにさっと火をつけると薄い唇に咥えて一服をゆっくりと吸い込んだ。紫煙がゆらゆらと立ち上り、煙草特有の香ばしい匂いが広がっていく。
「う、……なんだよ。だったら来なければ良かったじゃないか」
シャスポーはタバティエールの態度に対して不満げに頬を膨らませながら頭をぷいっと振ってみせた。タバティエールはそんなシャスポーを見て静かに反論する。
「そういうわけにもいかないだろ。もし、シャスポーお前がいなくなったら……」
「僕がいなくなったら?」
タバティエールは自分の口から出た言葉に驚き煙草を手に持ち替えて視線を下ろし、シャスポーはじっとタバティエールを見据える。ぎこちない沈黙がしばらく続いた。すると、タバティエールは困り顔で口を開いた。
「正直なところ、俺が責任問題で本当に基地から追い出されかねない」
「あ……そう。そうだろうな。基地で最も優秀な貴銃士である僕を失うんだ。お前がいなくなった損失となんて話にならない」
はぐらかすような言葉にシャスポーはいつもの調子で応えるもののタバティエールの言葉にどこか期待をしていたのもあってがくりと肩を落とした。
「ん? 何を落ち込んでいるんだよ」
「……やっぱり、ラップの言う通りかもしれないな。僕なんて……」
「さっさと帰って飯にするか。俺、今日何も食べてないんだよ」
「帰りたければ一人で帰れよ。僕のことは放っておけ」
「今度は怒りだして、今日はどうしたんだ」
タバティエールはシャスポーをどうしたものかと考えながら煙草の煙を吸い込んでいると、シャスポーは目に涙を浮かべてせきを切ったように言葉を吐き出した。
「そうさ! どうせ僕は不安定な貴銃士さ! だから僕のこと嫌いなんだろ!」
「嫌いって……俺がシャスポーを?」
「無理やり扱き使われて、わがままばかり聞かされて……好きになんてなるはずが……」
「また落ち込んだ……あのな」
タバティエールは煙草の吸殻を足もとに捨てて足で踏みつぶすと、子供をあやすようにシャスポーの腕を掴んで抱き寄せてそっと耳元で囁いた。
「好きかどうかはともかく嫌いな奴と戦場で昔も今もずっと一緒に戦うほど、俺は物好きじゃないけどな」
「嘘だ! 同じフランスで同世代がこの僕しかいないから仕方なく僕のそばにいたんだろ!?」
「銃の頃ならともかく、貴銃士になった今自分一人ならどうにでもなるさ」
「う、言われてみれば……じゃあ、どうして?」
「……どうでもいいだろ、そんなこと」
タバティエールは抱きしめたままよしよしとシャスポーの髪をなでていると、突然シャスポーにどんと力強く突き飛ばされた。わけもわからず棒のように立っていると、シャスポーはタバティエールを不服そうに指差した。
「ダメだ! これは今後の作戦で重要なんだから、ちゃんと答えろよ!」
「……今日は休みだからお前の言うこと聞く必要はないよな」
「じゃあ休みは終わりだ。もう十分休んだだろ!」
「俺、半日も休んでないんだけど」
「いいから! 早く答えろ!」
シャスポーは噛みつくように催促すると、タバティエールは諦めたように両手をあげてため息をついた。空を見上げれば青黒い夜の色が頭の上にベールのように広がってシャスポーとタバティエールの二人だけの静寂に満たされていた。タバティエールはシャスポーを除いて辺りに誰もいないことを確認すると観念して言葉を紡いだ。
「はあ……仕方ないな。分かった。確かに昔は、年下のくせに高飛車でわがままでイヤでしょうがなかったけどな。でも……」
「でも……?」
「だからその……気の強いお前にわがまま言われるのも、悪くないなと……まあ、そういうことだ」
「どういうことだ? はっきり言いなよ。分からないじゃないか」
「もういいだろ。ほら、ここに長居したら世界帝軍の追手が来るからな。早く帰るぞ、俺たちの基地に」
そう言って照れくさそうにタバティエールはシャスポーに背を向け基地に向かって歩き出した。
「……」
タバティエールは足音が聞こえないことを不審に思って振り返るとシャスポーは腕組みをして黙り込んだまま動かない。
「動かないなら、置いていくけど」
「タバティエール、あともう一つ……」
「今度はどうした?」
シャスポーは俯いて気恥ずかしそうに、咳払いをしてやや間をおいてから口を開いた。
「……僕は頭が痛いのを我慢してお前を探して疲れてるんだ。だから……その、おんぶを」
「は?」
タバティエールは聞き間違えたのかと思いきょとんとしていると、シャスポーは怒りと恥ずかしさがごちゃ混ぜになってタバティエールの肩を力いっぱい叩いた。
「僕は疲れてるからさっさと僕を背負えって言ってるんだ。ほら、早く」
「……はあ」
「なんでため息をつくんだよ。こうなったのは、もともとお前のせいなんだから」
「はいはい、分かったよ。さ、どうぞ」
「最初から素直にそう言っておけ」
タバティエールは膝を折ってしゃがみこむと、シャスポーはおそるおそるタバティエールの背中に乗ってその首に腕を回した。見た目よりも厚みのあるたくましいタバティエールの体にどきりとして抱きしめる腕の力をぐっと込めた。
「しかしなあ、俺とお前との間に体格差がないからなあ」
タバティエールは、「よっこらせ」、と掛け声を掛けてシャスポーの体を背負って基地へとむかってゆったりと再び歩き始めた。
「僕のこと重いって言う気か」
「軽くはないよな」
「おい、それ以上言ったら……」
シャスポーはタバティエールを懲らしめようと体重を掛けようとした時、タバティエールはくすりと笑って言った。
「お前が積み重ねた成果を背中で感じてるんだよ。俺と違ってお前は努力家だからな」
「こ、これは当たり前だ。お前も、マスターのために精進しろ」
気恥ずかしさに思わず場にそぐわないつれない言葉が口からこぼれてしまう。
タバティエールにとって何気ない一言にシャスポーの心の中にぽっと点火されたようなほの温かさが胸から全身へと広がっていく。甘えるようにタバティエールの頭に顔をこすりつけた。普段のシャスポーならこんな動きなど考えられないが、今日の訓練とタバティエールを探しまわった疲労のせいで頭が上手く働かない。
ゆらゆらと揺れるタバティエールの体温に身を任せていると夢とうつつの間をぼんやり彷徨うような眠気がシャスポーを襲ってきた。
「だよな。俺ももう少し絞らないと……うん?」
タバティエールは独り言を漏らしていると、シャスポーが欠伸を噛み殺そうとぽつりぽつりと呟きが耳元に音がところどころ言葉になって伝わってくる。
「そうだ。お前は、もっと……やれる奴って、僕は知って……」
最後に聞こえた背中に掛かる重みが一段と増したことを感じて、タバティエールはようやくシャスポーが眠りについたことに気づく。シャスポーの規則の正しい寝息が聞こえて思いかけずタバティエールはほころばせた。
空には星が瞬き宵闇を藍色の輝かせ、風に乗ってくる若草の香りに心が躍る。
「まったく、口を開かなきゃ可愛いのにな。いつも不眠気味だから、今日は夢も見ないぐらい寝れるだろ」
楽しげにそう一人呟いて誰よりも大切なぬくもりを決して手放さないようタバティエールは支える手に力を込めて、昔聞いた故郷の歌を思い出しながらのんびりと自分達の帰るべき場所へ向かって歩みを進めた。
おまけ/後日談
「第二十一回そろそろネタが尽きてきたけど、まだまだ諦めないぞ会議!」
「わー……ぱちぱちぱちー……」
ローレンツは死んだ魚のような目をして手をぱちぱちと叩いた。机の傍には、ラップとシャルルヴィルの欠席連絡がぽつんと置かれている。
「ローレンツ……なんでそんなにやる気がないんだよ」
「……シャスポーさん、いつまで続けるつもりなんですか?」
「決まってるだろ。タバティエールの奴が自分の気持ちに素直になるまでだ。それで、今回はタバティエールにワインを飲ませて、……その勢いで……って思っているんだが」
「それは十六回目でやったじゃないですかー。シャスポーさんが緊張してハイペースに飲むから先に酔いつぶれて、介抱するの大変だったんですよ」
「う……じゃ、じゃあ……ここは思い切って、性的魅力をアピールする作戦なら……」
「それも失敗してます。記念すべき十回目の時に……。タバティエールさんに見せる前にマスターさんに見つかって、大目玉でしたよね」
「うう……なら、僕にどうしろっていうんだ」
「俺に聞かれても困りますー」
「あー! それもこれも、タバティエールがいつまで経っても、その気にならないのが悪いんだ!」
シャスポーの金切り声が基地の食堂中に響き渡る。
食堂の出入り口には、今から食事の支度をしようとするタバティエールとカトラリーが内容が内容なだけに食堂に入りづらく立ち聞きするような形で立ちつくしていた。
「さすがに、毎日狭い基地でこれだけ大騒ぎしてたら気づくと思うんだが……」
「あれで隠してるつもりなんだよ。おじさん、シャスポーに好きだって言ってあげないの?」
「そうだな……。でも、もう少し気づかないふりをしていた方が面白くないか?」
「……おじさんって、結構いい性格してるよね」
タバティエールは時折ローレンツに必死になって恋愛相談をするシャスポーの様子を覗き見しながら嬉しそうに笑う姿にカトラリーは呆れて肩を落とした。
カトラリーは以前マスターが恋について話していたことを思い出す。恋愛は本気になった方が負けだということを。カトラリーは少しばかりシャスポーに同情した。
「なんとしても第五十回までには成功させるからな!」
「望みは薄いと思うんですが……」
シャスポーはタバティエールとの関係を変えられる日は来るのか。
雲一つないくらい晴れ切った空、シャスポーはタバティエールとの仲のため決意を新たに作戦を実行した。
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001 勝利を僕らの手に
【目次】

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